歌と歌手にまつわる話

(14) ジャズは生き物なり Hello Dolly 
  English Version here


Dolly Baker(1922- )
ドリー・ベーカーは"rehearsing"が大嫌いだと言います。つまり、伴奏者と事細かに打ち合わせをして合わせるのが嫌いなのです。つまり、ジャズの真髄である "improvisation"こそジャズの醍醐味だと考えています。つまり、即興性を大切にしています。

別の言葉でいえば「ジャズとは生き物なり」ということだと思います。ですから、これに対応できるミュージシャンがいないと彼女のジャズは成り立ちません。日本のジャズの器楽演奏家にはアメリカにも通用する人が大勢いるのではないかと思いますが、ボーカルとなるとさびしい限りです。

死んだ歌は「さしみ」にしても美味しくないのです。生きた歌を唄いたいものです。Hello Dollyはドリーの幕開けソングです。

もちろん皆さんはサッチモのHello Dollyが大ヒットだったことご存知ですよね。

当時はビートルズが売り上げのトップを走っていました。そこに63歳のサッチモが最高年齢の売り上げ記録を作ったのです。わたしは気持ちがよくて仕方がありませんでした。

ドリーは日本に30年以上住んでいます。そのくせ本語がまるっきり出来ません。まわりが英語で済ませてしまったせいでしょうか。ピアノと編曲の第一人者、前田憲男は歌伴をあまり好みませんが、彼女の伴奏だと自分がスイングできるといい、よろこんで伴奏します。生きていない歌しか唄えないジャズ歌手の伴奏などたまらないのでしょう。

昨年、前田憲男、荒川康男、猪俣猛のトリオと彼女で"We 3 + Dolly Baker"(Denon)というすばらしいCDを出しています。その前に出したアルバム"All Waves"(Sony Record)は今までに4万5千枚を越すヒットを飛ばしました。気の利いた国内のジャズ・レコードで4万枚とは大変な数字なのです。ところが、Sony Recordはこの名盤を廃盤にしたそうです。面白くないレコード会社です。それでも彼女は99年に喜寿を迎えます。

新しいCDが99年5月に発売されました。前田憲男との再演で"King of Jazz"(Columbia)です。


(15) ドリーの想い出話



Frank Sinatra in 1943

これはシナトラが亡くなって3ヶ月後に湯河原で開催されたジャズ・フェスティバルの帰りの車の中でドリー・ベーカーから直接聞いた話です。

1943年は戦争中のことですが、ニューヨークのコパカバーナにシナトラが出演していたそうです。バーのカウンターの向こうにシナトラが誰ともしゃべらず一人でお酒を飲んでいたそうです。20歳そこそこのドリーには近寄りがたく、顔見知りのバーテンにそうっと飲み物を注文しました。

「あれと同じのを」 、するとフランクが

「彼女にはお子様の飲み物(Kid's Drink)をあげとくれ」



Dolly Baker in early days

といったそうです。ドリーもきっと可愛かったのです。ほらね。笑顔は小さいときからまったく変わらないのですね。


(16) 歌手の心得

ステージの前3時間には食事もせず、アルコールも飲まない。これもドリー・ベーカーから聞いた話です。満身創痍の彼女が76歳の現在もかくしゃくとした声を聞かせるのはこれを実行しているからです。もちろん、ドリーは煙草を吸いません。

98年初夏には心臓ペースメーカーまで入れました。ドリー曰く、

「わたし死んでも、心臓は止まらないんだから」


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