歌と歌手にまつわる話

(75)  Someone To Watch Over Me がジミー・スコットを蘇らせた
(in English)


Jimmy Scott(1925- ) at B flat, Tokyo
August 2003 (photo by K.Wakayama)

Jimmy Scottは1950年代から60年代にかけてLittle Jimmy Scottと呼ばれリズム&ブルースの歌手としてレコードを吹き込みましたが、彼自身はジャズ・バラード歌手と呼んでほしかったのです。

Savoyというレコード会社はめちゃくちゃな契約で無防備なアーティストを抱え込み、食い物にし続けてきた会社だといわれています。

レイ・チャールズがJimmyのレコードをプロデュースし、DJで全米に歌声が流れて大反響となりましたが、Savoyが契約を盾に発売を妨害しました。このようなことが2度ほどあり、Jimmy Scottの名声は、これ以後、忘れ去られるようになりました。

しかし、90年代になってJimmyのブルージーな心の奥底から唄うスタンダードは、Warner Brosの傘下サイア・レコード社長Seymour Steinによって蘇りました。このきっかけは彼を表舞台にカムバックさせようと陰でプロモートしてくれた、ソングライター、Doc Pomusが先に亡くなってしまい、その葬儀でJimmyが"Someone To Watch Over Me"を唄ったことでした。

1991年、齢60後半になって、はじめて自分の唄いたい歌を、自分の歌いたいように唄える(語れる)ようになったのです。ですから、今がJimmyの青春と言えると思います。

Jimmyの不遇にまつわる数奇な人生の物語は、初めて来日する前に、NHKが流したテレビ番組で見られました。

さて、日本にもジミーファンは多く、92年の初来日以来、また、2000年以後は毎年来日してJimmyファンを喜ばせていますが、いつまで続けられることか心配するところです。

誰もが知っているスタンダードをJimmyの語りで聴かせるわけですが、東京のライブでの"Day By Day"には驚きました。超スローで唄うのです。これ以上スローでは唄えないような限界です。こんな"Day By Day"は聴いたことはありません。

かみ締め、噛みしめながら唄うのです。人が唄うのを聴くと「そんなに急いで唄うな」と言うそうですが、ゆっくり唄うことは想像以上に難しいのです。

レコードやCDはいつでも聴けますが、生のJimmy Scottを聴けるうちに聴けた人はハッピーというものです。プロ・アマ問わず、自分も唄う人は何かのメッセージを感ずるはずです。

2005年は5月の連休にBlue Note Tokyoでライブがありました。今年、80歳を迎えますが車椅子でした。舞台の上では車椅子から降りて自分で歩けますが危なっかしいです。この2年で、だいぶ年をとってしまったと感じました。


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