歌と歌手にまつわる話

(39) シアトルのおばあさん歌手のこと Someone To Watch Over Me (in Englsh)

Edmonia Jarrett(1933-2002)
1996年夏、シアトルの場末のレストランでキーボード一本で唄っていたエドモニア・ジャレットというおばあさん歌手に出会いました。シアトルの周辺では、ちょっと名の売れた歌手だったのです。

この歌を唄ったのですが、キーがAbというおそろしい低音なのにはたまげました。帰国してから比べたところ、エラのオクターブ下ですぞ。

彼女とステージの合間に楽しく話しをしました。そうしたらこのカバー写真のCDにサインをして呉れました。写真の中のペンの美しい文字がそれです。

"Kuni, Music is Universal Enjoy, Edmonia Jarrett"

と。もちろん、チップは忘れませんよ。

Live,Live,Live!というアルバム名は彼女が癌から生還して復帰し吹き込んだ力強いタイトルなのです。

The Jazzdogというサイトを開いているKeith and Claudia Church夫妻が、2002年にEdmoniaの訃報を書いていました。そこに出ていた画像がこのCD”Live, Live, Live!”でEdmoniaのサインが入っています。上のものと筆跡が同じです。まさにご本人が書いたことが誰にでもわかります。

私は一瞬自分の目を疑いました。この筆者はEdmoniaを知ったのは1995年と書いてありました。それ以来、ファンになって応援してきて裏切られたことがないとあります。このCDのジャケットには本当に驚きでした。

今日までエドモニアの亡くなったことは知りませんでした。このページを見るたびに、どうしているかと思いはしましたが、何せローカルなことで情報がありません。がんを患ったこともあり気にはかかっていたのですが。全米にその名がとどろいている有名な歌手と言うわけではありませんので、ニュースなどには出てこなかったのです。

彼女がジャズ歌手として活動を始めたのは55歳になってからだということです。それまでは、教会でゴスペルを歌っていたのだそうです。遅咲きのジャズ歌手が早く散っていったのです。2008/2/29



Ernestine Anderson(1928- )

行く前はご当地に住む有名な歌手、アーネスティン・アンダーソンを聴きたいと思っていました。しかし、彼女は少し前まで自分の店で歌っていたのですが、いずこもジャズで繁盛するのは難しいらしく、店をたたんでしまったということでした。時々は他人の店でライブをやってはいるそうです。

南青山でも20年続いたジャズのピアノバーの灯が消えました。むかし、よく通った店で残念です。また、どこかで有福さんのピアノを聴きたいものです。

「いやな世の中だなぁ」・・・こんな世の中にしたのは大蔵省と銀行じゃあないですか。日本経済のお尻の穴から空気をいっぱい吹き込みパンクさせたのです。雨蛙じゃあるまいし。昔、小学生の頃に、近所の中学生が雨蛙を捕まえてきて、お尻の穴からストローで息を吹き込み悪戯していました。不良債権をかかえた当の金融機関に国民の血税をウン千億円もつぎ込んでいるのです。

他にも厭なことだらけ、日本が平和でいい国だと思っている人は幸せなお人です。音楽は一時的にせよ、こいう事を忘れさせてくれるのです。


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