朝 の 集 合

スクールのイントラOB達が会長の「画集」を編集することになり、錦城高校の「朝の集合」の図が取り上げられて、この絵にわたしがコメントをつけることになった。約500字でとの注文である。さっさと書いて、渡邉鐵ちゃん先生に送った。画集が出来る前に1ページだけ見本が出来たわけである。

 朝、ロッヂ前のゲレンデに錦城高校の生徒達が集合する。41年間、変わることのないこの光景はわれわれもよく出会った光景である。初日と最終日には岸英三校長(後に会長)の開校式と閉校式の挨拶があったものだが、高校生達にはどう聞こえたのであろう。

 錦城高校の前身は福沢諭吉の高弟、矢野龍渓によって三田の慶応義塾内に創立された「三田英学校」である。明治22年、神田錦町に移転して「錦城学校」と改称した。自分が慶応の出身なので、錦城はよその学校とは思えない。この錦城高校から私が教鞭をとる法政大学工学部に入学し、私のゼミを卒業した者がいる。不思議な縁だ。

 さて、オヤジと私の付き合いは昭和36年(1961)から37年にかけてのシーズンに始まる。NHKが招聘したフランツ・デルブルというスキー教師の講習会が開かれた。オヤジはレッスン風景を眺めに来た。最終日の講習が終った時、私のところに滑ってきて「お前は眼の光がいいから、おれの友達にしてやる」と言って、分厚い温かい手で私の手を握ってくれた。変わったことを言うおじさんだと思った。一体、何を気に入ってくれたのだろう。

(若山邦紘)

「予想図」というのが会長らしい。見慣れた風景なので、想像しただけで描けてしまうのだ。それにしても一人一人の人間がみな動いている。だから、絵が生きている。いろんな声も聞こえてきそうだ。

最後の、岸英三から私への一言は、鐵ちゃん先生から「あれは痛快な話だ、必ずコメント文に挿入せよ」とのリクエストがあったもので、トップページの出会い話の引用である。