MY FRIEND

2014年のコンサート

 生トシ子東京藝大の学生時代にNHK毎日音楽コンクールで2位入賞し近衛秀麿指揮のオーケストラと3ヶ月間、スイス、イタリア、ドイツ、オーストリア他でショパン・ピアノ協奏曲を演奏したという華々しいデビューを飾ったピアニストである。

霧生さんの名前を知ったのは1985年にカーネギー・ホールでリサイタルを開いた話がどこかの雑誌記事に出ていたのを見たことであった。

クラシックのピアニストと思っていた人が、六本木界隈のジャズライブやジャズのコンサートなどで演奏する姿を見るようになり、ジャズにまで手を伸ばしたのだと思った。いつも年下のご主人、太田寛二というジャズピアニストと一緒だった。

90年代の後半、今はない西麻布のピアノクラブ「INDIGO」でよく話をするようになった。自宅が代官山でこの店のオーナーが大原江里子というピアニストで毎週のように遊びに来ていたのだった。
 

練習に疲れると鍵盤と鍵盤の間が奈落の底に見えてくるのだと言う。そうすると、INDIGOに息抜き気分転換にやってくるのだ。お酒も強いのだ。

 業者:霧生さんは尚美学園大学芸術情報学部の教授でもあり、ジャズを教えていた。ある時、「学生たちに使えるようなジャズコーラスの譜面を頂戴」と言う。シンプルなアレンジのスタンダードを何曲かコピーして持って行った。霧生さんは「あなたの同業者よ」と言って大笑いするのだ。

 ョパンとジョプリンこの店は贅沢な店で普段は顔見知りのお客がちょろちょろといるだけの静かな店だった。霧生さんは私の顔を見ると先ずショパン幻想即興曲を弾いてくれる。私は霧生さんがピアノを弾いているすぐ後ろに立って、聴きながら演奏している指の動きを眺めているのだ。すごく面白い。この曲の主題に歌詞をつけて”I'm Always Chasing Rainbow”というポピュラーソングができた。Four Freshmenのアカペラはいい味を出している。

この曲が終わると、つぎはScott Joplinを弾いてくれる。ジャズが生まれる素地としてブルースとラグタイムがある。ラグタイム・ピアノは1800年代の終わりごろに生まれた。ジョプリンはラグタイム・ピアノの作曲をしては楽譜出版社に売り歩いていたのです。ある時、”Original Rag”と”Maple Leaf Rag”の2曲を売りに行ったところ、”Original Rag”は買ってくれたが”Maple Leaf Rag”はハジカレてしまった。

”Maple Leaf Rag”を聴いたJohn Starkという百姓でアイスクリーム売りでピアノ・ペダル直しの男がこの曲を気に入って、世話をして出版してくれました。たった1年のうちに100万部も売れてしまい、2人は大儲けをし大変に仲良くなりました。スタークはそれがきっかけでラグタイムの譜面出版に長年関わることになった。Scott Joplinはラグタイム王と呼ばれます。

その”Maple Leaf Rag”を霧生さんは弾いてくれます。この店も2000年3月末で閉店しました。
 

 Invitation:今年は霧生さんから冒頭のチラシと招待状が届いた。なぜかと言うと、昨年はOZ SONSの最初で最後のコンサートにご招待したからお返しというわけらしい。

当日、朝日新聞社の正面から入ろうとすると警官が並んで警備している。その前で右翼らしき兄さんが拡声器を持ってアジ演説をしている。「なるほど、なるほど」と思いながら玄関を入った。幸い、ホールは裏の別棟だから騒音は届かない。毎日、毎晩、こんなことやっているのかなぁと思いながら回廊を抜けてホールに入った。

INDIGOが無くなってからは、私だけのためにピアノを聴かせもらう機会は無くなった。あの頃は贅沢をさせてもらった。通常のライブなどでは聴けないのだ。

この晩は、久し振りに霧生さんのクラシック・ピアノをたっぷり楽しめました。


OZ SONS Concertで 2013/6/15

むかし、湯河原でジャズフェスがあった時、一緒のホテルに泊まった。ここにはピアノが置いてあるので、朝になると霧生さんは練習を始める。まぁ、ほんとによく練習する人です。

さて、第1部はクラシックで

ベートーヴェンソナタ 変イ長調 op.26「葬送」
ショパンノクターン ハ短調 op.48−1
ショパンスケルツォ 第4番 ホ長調 op.54
ラヴェル「クープランの墓」より“メヌエット”“トッカータ”

というプログラムだった。霧生さんはどんな大曲でも譜面は置かない。譜めくりなんて居ません。

練習でも本番でも譜面にかじりついている人よ、霧生さんをお手本にしなさい。

私の2年上の霧生さんは脳みそも若々しいのです。(2014/10/14)