FRIENDS OF OZSONS

世良さんはOZSONSを大切にしてくれました。一緒に飲んだり食ったりはもとより、「オージーサンズの皆さん、ライブに来るなら唄いなさい」と自分のライブにOZSONSをゲストとしてステージに乗せてくれました。昨年は2回もやりました。10月には、やはり心の片隅に「これが最後になるかもしれない」という思いがあったことは事実です。何年か以前には打ち合わせもなく本当の飛び入りでした。

2004年2月17日に帰らぬ人となりました。前日に世良さんの音楽事務所の社長である息子さんの隆さんが病状を知らせてくれたばかりです。「暖かくなったら・・・体力もつくだろう・・・」と。

世良さんはガンガン飲んで、ガンガン食って、何をやっても豪快でした。あるときは「おれの指を見ろ」って言うのです。指が関節のところから外側に向かって曲がっているのです。それだけピアノを弾いた人なのです。

2003年10月の品川プリンスのステージがOZSONS共演の最後のステージとなりました。仲良くしてもらいました。楽しかったです。 合掌(2004.2.17)


Yuzuru Sera(1932-2004), 50th Anniversary Concert, Nov. 2000

50th Anniversary Concert, Nov. 2000

世良 譲

ここで、あらためて「世良 譲」の解説をする必要はありません。ジャズのライブやコンサートに出かけることのない方でも「サウンド イン S」などブラウン管を通じてお馴染みのジャズ・ピアニストです。

昔々の楽師たちは世良さんを「世良チン」と呼びました。特別な愛称です。

「酒とバラ」を愛するおもしろいオヤッサンです。”The Days Of Wine And Roses”を地で行く世良さんです。

INDIGOがまだ西麻布にある頃、仕事が終わると一杯やってから、遅がけにやってきます。丁度、オージーサンズNo.7の3人がピアノを囲んで"I'll Never Smile Again"を静かに唄っていると、デッカイ声で歌いながら店に入ってくる酔っ払いが世良さんでした。普通はわれわれのコーラスを邪魔する人はいないのです。

だから世良さんは普通じゃあないのです。

世良さんはオージーサンズ一家の鈴木史子がお気に入りです。歌が上手いのと世良さんと相性がいいのでしょう。地方での仕事があると「おい、お史いっしょに行こう」となります。お史は「へい」とひとつ返事です。世良さんの奥様がお史が好きなのです。ですから、旦那様がお史と一緒なら安心しているのです。

2002年1月末から2月上旬にかけて、2人はニューカレドニアに行く豪華客船「飛鳥」の旅でライブ・ショーをするのです。優雅な仕事ですねぇ。ベースとドラムスには、やはりオージーサンズのお友達、遠山晃司、木村由紀夫が同行しています。

これは世良さんの名刺です。バラの切り絵がしてある白紙の名刺用カードを持っています。その都度、手書きで名刺を渡すのです。

もらった人は喜びます。実に小憎らしいほどの演出です。素人が真似しても様にならないと思います。でも、真似してやってみますか?

オージーサンズが出演した鈴木史子のコンサート"KEEP SHINING 5"には世良さん一家が横浜関内ホールに聴きに来てくれました。終わってロビーで「おい、オージーサンズはよかったぞ」と褒めてくれました。前々から聴いていてくれましたので、ある程度やるとは思っていてくれてたのでしょうが、予想以上によくやったと思ってくれたのです。それに、4人になってからは時間も浅く、4人に復帰したことをご存じなかったので余計によく聞こえたはずです。

東京公演では、横浜には来られなかった長男の隆さんが一人で来てくれました。「親父に『絶対聴きに行って来い』といわれました」とのこと。これで世良家全員が来てくれたことになります。

オジサンたちは、そんなによかったのですよ。いや、楽しくやったのです。


2002年の夏前、世良さんの身体に悪いものが出来ていることがわかりました。はじめは内緒でしたが、今では周知のことです。

いろいろな治療や投薬で病気と闘っておりました。このことを知っているものは、皆、心配をしていました。

最新の医療設備や検査の設備を有することで有名な某企業の病院に入院していたのですが、珍しい病院でロビーにピアノが置いてあり、世良さんは腕に点滴の管をつけたままでピアノを弾いていたのです。

退院後も、そこでライブがありました。


世良さんを囲んで(三浦海岸Maholova Minds), 2003.01.23

それが、「おい、快気祝い兼新年会だ」と連絡してきました。「行く、行く」と言ったものの、オヤッサンくたばりそうな姿で現れると、何と言っていいか困るなぁと思いながら、恐る恐る会場のホテルに着くと、息子さんの隆さんとロビーで待ち構えておりました。

いやはや、元気そのものです。酒はがんがん飲みますし、相変わらずデカイ声でしゃべります。話を聞いて安心したのは、どうやら死の淵まで行ってきたらしいのです。「すごく綺麗な黄色っぽい花園のようなところだった。でも、行かねぇで帰ってきた」という話です。

 


宴会の最中、わかGはカニをむいているのです。
こういう話はよく聞きますが、そういう人は決まって長生きです。世良さんはこの世にいても「酒とバラの日々」を地で行くわけですから、お花畑など何の未練もなく戻ってきてしまったのです。当分、呼びには来ないでしょう。と願っています。
その翌朝、富士山が美しい姿を見せてくれました。三浦半島、相模湾ごしの雄姿です
 

2003年3月からは、ライブに姿を見せてくれるということです。オージーサンズも揃って応援に行きます。行くだけではなく、飛び入りで一寸だけやらせてもらいます。Activities参照

3月の復帰ライブで世良さんのピアノで唄ってきました。

品川プリンスのClub eX、なにか高そうな感じですが安いのです。

広々したすばらしいライブホールです。


2003年10月のライブの終了後の楽屋です。これが世良さんとの最後の写真となりました。

この日の歌は鈴木史子でしたが、お史がメンバーのコーラスグループ、THE LUREと我々OZSONSがゲストでした。おいしそうなものが並んでいるでしょ。プリンスホテルの差し入れです。

  

世良Gが生きている間には歌えなかった”Mr. Wonderful”、世良Gが一番好きな歌だった。鈴木史子のKeep Shining 6でせらGに捧げて歌った。(2013/9/23 サントリーホール)

⇒ Mr. Wonderful

 


「世良譲を偲ぶ会」

日時:6月27日(日曜日) 場所:品川プリンスホテル Club eX

ー チラシ ー

そのレポート

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