ジャズとコーラス

(15) 米仏合作・米英合作 Swingle Singers


Ward Swingle(1927- )

1963年にパリに住むアメリカ人の音楽家、Ward Swingleがとんでもないグループを結成しました。バッハを「ダバダバ、ダバダバ」ってスキャットでやりだしたのです。

当時、アメリカからロックやポップスがヨーロッパに強い影響を及ぼす中で、彼は声楽の練習のためにバッハの"Well-tempered Clavichord"を使ってアカペラで唄わせていたのです。じつはもっと昔からバッハを題材にして、声楽の基礎訓練に使っていたのです。

彼は「バロック音楽の中で、バッハがもっともスイングする」といっています。63年にデビュー盤がPhilipsから出ますが、これがアメリカで大当たり。一躍、世界中に彼らの名が知れ渡りました。



Swingle Singers(Original Group)
Swingle Singersは彼以外はみなフランス人でした。その中にはミッシエル・ルグランの姉であるChristiane Legrandが含まれています。右から2番目の女性です。Swingleは一番右の男性です。

1973年に彼はこのグループを解散し、イギリス、ロンドンに移ります。なぜなら彼はイギリスのコラールの伝統が好きだったからなのです。そして、ルネッサンスとジャズ・スタンダードとアバンギャルドをレパートリーに入れたかったのです。イギリスでよりクラシックの訓練をうけたシンガーを見つけ、イギリス人版のSwingle Singersが誕生します。

当時、Swingle II と呼んでいましたが、はじめてビートルズの歌などを歌詞をつけて唄っていたレコードがありました。

イギリス・グループはもう25年も続いています。彼は85年にツアーからは身を引き、アメリカに帰り、音楽監督としてグループのアドバイスをしています。

2005年の年明けに、ネットを通じてSwingle Singersの前身は、The Double Six of Parisというグループであることを教えてもらいました。群馬県在住のゴロピカリこと八木さんです。八木さんの情報では、

Double Six of Paris の母体はミミ・ペランという歌手兼ピアニストが1955年に結成したグループで、クリスチャンヌ・ルグラン、ブロッサム・ディアリーが主要メンバーでした。

翌年、後にスィングル・シンガースを結成するウォード・スィングルも加入しています。

グループは1957年に解散してしまいましたが、1959年になってランバート=ヘンドリック=ロスの人気に刺激されて再びペランが結成したのがDouble Six of Parisです。

八木さんのお気に入りはディジー・ガレスピーとのLPということですが手に入れるのは難しそうです。


The Double Six of Paris

早速、一枚のCDを手に入れました。1960年のレコーディングとなっています。上の写真はそのジャケットからのものです。いやー、すごかったです。フランス語のスキャットとヴォーカリーズです。

ピアノを弾いているのは、若かりしクインシー・ジョーンズです。この盤ではクインシーの曲を数曲唄っていました。

左端はスィングル、隣はルグランです。右から2番目の女性がこのグループのリーダーで、ミミ・ペランMimi Perrinです。何とも、なんとも強力なマドモアゼルです。

ゴロピカリのサイトへ

これが2006年のSwingle Singersのラインナップです。

真ん中のお爺さんは、Ward Swingleです。1994年以降、夫妻は再びフランスに戻っています。

基本的にはイギリス人グループが1973年以来続いていますが、皆、若いメンバーに入れ替わっています。ドイツ人男性1名とイスラエル人女性1名がメンバーとなっています。

ロンドンに本拠を置いて、世界中を股にかけて活動しています。2006/10

Swingle Singersのプロモーションビデオが見られます。http://www.youtube.com/watch?v=EnFOxP1tnOo

  INDEX     PREVIOUS NEXT