NAMING OF THE GROUP

1997年4月に西麻布の片隅に”INDIGO”というピアノ・バーが出来ました。大原江里子と彼女の親友、都築由美子が開いた贅沢三昧のお店です。グループNo.7の3人が、INDIGOに週に一度とはいきませんが、そこそこ集まって練習するようになりました。レストランの「ヒラマツ」のAnnexとして使っていたスペースです。

グループのアレンジやピアノ伴奏をしてくれたベートーベンが身体をこわし、それが出来なくなり、その後は大原江里子がアレンジとピアノ伴奏をすることになって、グループの音楽の面倒を見ていたのです。

INDIGOの常連はわれわれを「いつものおじさんコーラス」と呼ぶようになりました。これをもじって付けたのが”The Oz Sons”という名前です。「オズの息子たち」などという洒落た意味がないわけではありません。これ以前に”OZ Sounds”という伏線はあったのです。


OZ SONS #7


いつものおじさんコーラス
The Oz Sons Group #7 X'mas Party at INDIGO, 1999

実は”The Oz Sons”というグループ名が正式につけられたのは、何と1999年11月にスリー・グレイセスのコンサートに出演するのがきっかけだったのです。それまでグループは名無しでした。もう一組、ゲスト出演したアマチュアのグループは”Dandy Four”という名前で、タキシードが4着あるという、とてもオージーサンズなどは足元にも寄り付けないようなグループでした。自分たちで「セミプロ」と言っているのですから、大したもんです。

「あなた方は1stステージでは何色を着ますか?私たち4着ありますから」
「ぼくらは、紺ブレです」・・・普段着のやつで、別に揃えた物ではありません。
「じゃあ、わたし達は白タキにします」

そんなわけで「ラストステージは全員黒タキで」も、それぞれ持っているもので間に合わせています。貧しそうですか?

ちなみに現在でも、そのときから何も変わらず、オージーサンズはおそろいの衣装なんて有りはしません。しかし、オージーサンズには、自分たちのスタジオ(わかGの自宅の居間、ワカスタと呼んでます)にディジタル音響・録音の設備があります。合宿には8トラックのYAMAHAのミキサーまで積んで出かけます。普段使っているのは別の8トラック録音が出来るミキサーです。オー、贅沢だ!

しかし、一つ欠点があります。それは、うちのマネージャーのサービスが良過ぎて、飲み食いしたり駄弁ったりで練習に集中できないことです。

オージーサンズのエンブレムは特注で作りました。自作のロゴ

を真ん中にあしらったデザインです。 細い金糸や銀糸が使えないとこのデザインは実現しません。

それを親切に対応してくれたのは、山口県防府市の「ししゅうどっとこむ」でした。
 


Little MANUELA, 2008/2/23 photo by Shinichi Hashimoto

昨2007年の暮にきよGから電話がありました。岩本町でユニフォームによさそうなものを見つけたからという連絡です。翌日、きよGとわかGとマネージャーが岩本町に出かけました。

問屋さんのお祭りセールをやっている最中でした。ミュージシャンの人たちにも、知れわたっているらしいです。2月にしばらくぶりに太鼓を叩いてもらった木村由紀夫も知っていました。

いくらだったか知りたいですか?わっはっはっはです。

この写真を撮ったのはLHOの橋本伸ちゃんですが、LHOのブログにOZSONS紹介の記事を書きました。その書き込みでわかるようにLHOの連中もカルアの連中も皆岩本町に行くらしいです。2008/2/25

http://lighthouse-orch.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/


オズの息子たちにちなんだポスターが出来ました。