歌をつくる人にまつわる話
The Story of Songwriters

(22) ロックの歌にスタンダード・ジャズの風格 MacArthur Park

Jimmy Webb(1946-  )
"MacArthur Park"という大変に長い曲があります。フルに唄うと8分近くかかる歌です。1968年にアイリッシュの俳優、Richard Harrisが唄いヒットし、サミー・デイビス Jr. も唄っています。ディスコ・クイーンと呼ばれたドナ・サマーはディスコ・サウンドで唄うのですが、なかなかのものです。

カーメンは60年代末に、全曲ではなく途中に出てくる32小節だけを唄っています。わたしはこれを最初に聴いて、痺れまくっていたのです。シナトラも32小節をさらりと唄います。

"By the Time I Get to Phoenix""Up Up and Away" も彼の曲だと後から知りました。"Didn't We"はシナトラが唄っています。

この時代はシングルのEPが、先ず発売される時代でした。シングル版では、長くても3分半くらいが普通でした。7分半も8分もかかるので、Columnbiaをはじめメジャーのレコード会社からはそっぽを向かれました。ところがABCレコードが関係するLou Adler's Dunhill Recordsという独立系レコード会社が、MacArthur Parkを買ってくれて、シングルとLPを発売してくれることになりました。これが大ヒットとなるのです。

1968年のヒットチャートで第2位までのぼり、13週間続けました。

ジミー・ウェブはオクラホマのバプティスト派の伝道師の息子で、父親の教会でオルガンを十代のころから弾いていました。そのとき、彼は讃美歌を編曲し、ハーモニーも変えてしまいました。子供のころからそういう才能があったのですね。彼の曲を知っていると、どんな風に変えたかが想像できるのです。はじめは宗教曲の作曲から始め、さらに文学的な才能は情景が目に浮かぶ視覚的な美しい歌詞を書いています。

いい歌だと思って好きになった背景に彼の生まれと育ちが分かり、何か納得させらることになりました。

大分県津久見生まれのベテラン歌手、森さかえはこの歌が好きなのですが、自分では唄っていないので私に会うと必ず唄えといいます。さかえさんの前だと、普段より気持ちがこの歌にこもることになります。

この歌のタイトルであるMacArthur Parkはダグラス・マッカーサー元帥にちなんだ公園です。1880年代にロサンゼルスで最初にPublic Gardenとして出来た公園の1つで、初めはWestlake Parkという名称でしたが、第2次世界大戦の終戦を機にマッカーサーパークと改称したものです。マッカーサー元帥のモニュメントがあります。この歌がこの公園を有名にしました。

お濠のど真ん中に高速道路があるさまは、東京の千鳥が淵と同じですね。ここを真似したのでしょうか。

さんざんコケにされたMacArthur Parkという歌

心に響く素晴らしい歌だと思うのですが、じつはこの歌ほど悪名高き歌は無いと言っても過言ではありません。

その理由は”Someone left the cake out in the rain”に象徴される歌詞、理解に苦しむ比喩の奇妙さとバックの大げさなオーケストラにあるといいます。譜面を見れば、当時の感覚とは離れすぎていて辟易としたとしても当然です。

したがって、この歌を唄った歌手達は、この歌詞を如何にして威厳を損なわないように唄うかに苦労をさせられたに違いない、という記事が書かれているほどです。

カーメン・マックレーは全曲を唄わずに、一部だけを唄ったのは、単に曲の時間を短縮するだけでない、上記に絡む理由があったのかもしれません。「なるほどね」と今更ながら思うわけです。

歌詞をごらんになりたい方はこちらへ

アメリカ人が読んで意味がわからないのだそうです。

私も想像たくましくして勝手に解釈するだけですが、不思議な魅力を秘めた歌です。

ジミー・ウェブは現在は、世界をまたに駆けてライブツアーで唄いまくっているようです。

2005年の夏以降は、US, UK, Ireland, Australia, Canada, New Zealandと回る予定ですが、残念ながら日本には立ち寄りません。

http://www.jimmywebb.com/

   

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