ジャズと雑学

(3) コード記号と和音
- in English -


Jelly Roll Morton
(1885-1941)


コード記号を使って、メロディのバックの和音を表すのはジャズ特有の知恵であります。これを考えたのはジェリー・ロール・モートンです。クラシックの人たちはコード記号で即興的に演奏する訓練を受けていないので、すべての音符を楽譜に書かないと演奏できないのが通例です。しかし、カデンツァはモーツアルトの時代には即興的に演奏されるものだったのです。クラシック音楽にもジャズでいうインプロビゼーションがその昔からあったのは驚異です。そういえば、ヨーロッパの宮廷では音楽家に即興演奏をやらせては楽しんだ時代もありましたものね。いやぁ、ジャズが面白いと盛んに言ってはいるものの、クラシックというのは何倍もの歴史を経てきたものです。したがって奥が深いのです。クラシック音楽も古きを温ねると、新しきを知ることになります。

我が家の娘、といってもうら若くはないのですが、1001を見ただけではピアノが弾けません。そのくせ細かく10本指分の楽譜があればチャイコフスキーでもショパンでも弾いてしまうのです。でも、それしか弾いてはもらえません。ジャズピアノの楽譜など買ってきて弾いたりもしますが、1コーラス目はバラードで2コーラス目から4ビートで伴奏せよなんていっても困ってしまうのです。


ジャズの人たちはメロディ+コード記号があれば充分なのです。逆に事細かに譜面が書かれていると、かえって演奏しづらいのです。もちろん、すべての人がそうであるというわけではありません。コードをどのように展開して弾くかは演奏者に任されているわけです。これはクラシック音楽とまったく違う演奏概念です。したがって、ジャズの人は一人々々の演奏スタイルが異なってくるだけでなく、その時々で違った演奏をしてしまうのです。

もちろん、ジャズのオーケストラではすべてが楽譜に書かれ、そのとおり演奏するのですが、ソロを回していくときはコード記号だけを見てアドリブ演奏をします。コードを見てアドリブ演奏をするというのはバップの基本であり、現在でもジャズの憲法はバップだといわれています。ですから、どんなフレーズが飛び出すかわからないのです。コード記号ってコードなものですね。

ジャズのフルバンドの一列目にはリード楽器であるサックスの人たちがずらりと並びます。ファーストの奏者は楽譜ばりばりの育ちのよい人が、セカンドにはアドリブをやらせたらめちゃめちゃにすごいヤンチャ坊主的な長男とは違った個性の人が座るようです。オーケストラにはいろいろな個性が必要ですし、それらを融合させることができるのです。

戦前から戦後にかけて、ハワイアンは根強く流行りました。最近リバイバルしているんですって?今の熟年以上のモダンなおじ様方はウクレレなんてすぐ弾いちゃったもんです。コードが簡単なんですよ。ハ長調の曲だとすると、C,D,F,G,Aくらいおぼえておけば済んでしまうんです。ポップスでも循環コードといって、C,Am,Dm,Gだけ知っていればいろんな歌が唄えてしまうのです。

Bm7−5,E+57−9だとかA137−9あるいはDdim9なんてややこしいでしょ?かと思うとFm/Bbというような分数?まで登場してきます。モートンがコード記号を考え出した頃には、こんなコードはお目に掛からないはずです。ビ・バップが40年代になって起こり、ウェスト・コーストとかクール・ジャズというジャズのモダン化が進み、盛んに使われるようになったハーモニーなのです。ちなみにdim9(ディミニッシュ9th)というコードはディジー・ガレスピーが1940年に"Bye Bye Blues"を演奏するときに初めて考え出して使ったものです。

クラシック音楽にも不協和音は、ジャズの生まれる100年いや300年以上も前からあるのです。しかし、不協和音は多くの場合、経過的にでてくるもので、協和音に解決していくことが通常です。そうしないと落ち着きが悪いのです。つまり、音が半音や一音でぶつかったままでフレーズや曲自身が終わるなんて、気持ちが悪いものです。しかし、不協和音を含ませることによりハーモニーの奥行きや幅というものが出てくるのですから不思議です。音楽の教科書では長調の曲なら最後はド、ミ、ソ、短調ならばラ、ド、ミで終わるのが常識なのです。

ここでは、ワグナーの「トリスタンとイゾルデの前奏曲」のような曲を取り上げて話題にするつもりはありません。もっと、誰もが知っているような流行り歌の世界での話に留めたいと思います。

単純な話で、ド、ミ、ソ、シとやったり、ラ、ド、ミ、シとやってみると、なにか洒落た響きがするのです。そんな初等的な話だとご理解ください。

純粋音楽にも前衛派とよばれる人たちもいるわけで、このような常識的な枠からわざとはみ出すような曲を作曲しています。どんな分野でも新しいことを試みる人が生まれてきます。これはいいことなのです。それが残るか否かは聴く人たち次第なのでしょう。

このようなムーブメントは美術の世界でも書道の世界でも、学問の世界でも共通することです。評価をするのは本人ではなく他人です。それも後の世の人なのかもしれないのです。しかし、一言だけいっておきたいのは「常識的なことを知らない、あるいは勉強しないまま、前衛的な道に走ることはしてはいけない」ということです。天才といわれるパブロ・ピカソでも、若い時代のデッサンや写実的な絵は人並みはずれて素晴らしいのです。バルセロナに行く機会があったら、是非とも「ピカソ博物館」を訪れてください。ピカソの偉大な人生そのものが分かるような気がします。

打撃の神様といわれた巨人軍の川上哲治元監督が「基本ですよ、基本」とよく言っていました。どんな世界でも新しいものは基本の上にはじめて成り立つのです。

さて、ジャズでは不安定な和音のままでフレーズや曲を終わらせるのを楽しんでいます。コードの勉強をすると、ジャズの楽しみ方がまた変わってきます。爵士樂堂は高校生の頃からテンション・コードと呼ばれる音のぶつかり合いの響きが好きでした。クラシックの合唱団で練習中に6thの音をコーダで出して悪戯をしたら、先輩に「6なんて出すな!」と怒鳴られ首をすくめたことを思い出します。おっちょこちょいもやったんです。汚らわしく思われたに違いありません。

また不見識だと叱られるかもしれませんが、鎌倉の禅寺に友達と座禅をしに行ったことがあるのですが、お経を読む時に2度のハーモニーを試したことがあります。なかなか重みのある響きがしていました。とにかく、斉唱は面白くない人種なのです。


  Index       Previous Next