ジャズと歴史にまつわる話

ルイと並び称されたビックス
   

Leon Bix Beiderbecke(1904-1931)

Bix Beiderbeckeは厳格な家庭に生まれました。3歳のときからピアノを弾き始め神童と言われていました。

1921年、父親はビックスをシカゴ郊外にあるLake Forest陸軍士官学校に入れましたが、ここはビックスには合いませんでした。授業をサボってはシカゴに行っていたのです。てな訳で首になってしまいました。しかし、1923年にはフルタイム・ミュージシャンになっていました。

こんな環境でしたからビックスは音楽教育を受けていません。譜面も読めません。しかし「いい耳」を持っていたのです。

あちらでは「君はいい耳を持っているね」というのが褒め言葉です。「お上手ですね」とは言いません。「いい音楽家」と「いい耳をもつ」は同義語です。いい目は必要ないのです。

彼は当時、Original Dixieland Jass Bandの影響を強く受けて、コルネットを独学で学びました。ところが、あっという間に先を行ってしまったのです。

1920年代半ばから死ぬまでのたった数年間ですが、ビックスのコルネットはルイ・アームストロングとはまったく違ったスタイルの演奏なのですが、黒人のルイと白人のビックスは両横綱を張っていたのです。

最後にはビング・クロスビーが専属歌手であったポール・ホワイトマン楽団にいました。しかし、禁酒法時代の悪い酒がたたり、アルコール中毒になり、最後は肺炎と脳浮腫で1931年、27歳で亡くなりました。したがって「伝説の」とか「幻の」という形容詞をつけられてものの本には書かれています。


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